壊れたポスト、外れた部屋の鍵・・・


先週の日曜日から始まった49度目のバースデーウィークが終わった。先週の日曜日は慌ただしくプチ旅行に出かけ、戻って来ては残りの引越しの整理を済ませて過ごす。それでもまだ冷蔵庫の中が缶ビール程度しかなく新生活のスタートが切れていない。この1週間はほぼほぼ外食や飲みが続いた。しっかり自分の生活をコントロールしていかなくてはと思ってる。

我が家のニャンズは引越し後すぐに落ち着いた。馴染みの部屋に戻っただけなので勝手を知っているからだろう。家具を前回となるべく同じにしているので初日から自由に暴れまわっている。”ハイハイ!”と放置。引っ越して1週間ほど経って兄ガクの落ち着きに驚いている。両親との生活の頃との雰囲気とは何かが違う。リラックスしている感じなのだろう!?散々やられたイライラ爆発の「猫キック」の洗礼を未だに受けていない。

一方で妹ワカも落ち着いている。相変わらずちょこまかちょこまかとくっついて来たり離れたり。彼女の日常のルーティンみたいなもの。両親がいきなりいなくなった空間に戸惑うかと心配はしたが、”猫って淡泊ねっ!”と思わずにはいれらない。結果として以前のように自分とニャンズだけの空間時間距離感が日常に戻りつつある。お互い「自由」であることが一番だ。

職場で同僚と軽く人生観について話をしていた。ふと気づいたのは自分が発する一言一言にこの町「長居」がベースとして根付いているなと思った。この5年の間未だドタバタを重ねてきているが、そうありたいというこれからの願いが言葉にあるかのようだ。今の自分の判断や行動の基準、基点はこの町だということは間違いない。そして両親の余生をどう近くで見守っていくかというフィルターも加わった。

決して自分の未来の展望に「悲観的」な思いは全くない。”いやいや、ならないのその状況で!?”と突っ込まれそうだ。いつもの”何とかなるんじゃね・・・”という、これまで通りの「楽観的」な思いの方が強い。というのもこれまで運よくやり過ごしてきた自負の念が少なからずあったりする。

仕事明けに片付け中(ほぼ終了)の以前の部屋に行った。ドアの前に立ち、鍵をキーホルダーケースから出そうとすると”ポロっ”っと廊下に落ちた。”あぁ・・・。”、この部屋は卒業なんだと改めて感じた。引っ越し日の数日の前にこれまで何ともなかった郵便ポストがいきなり壊れもしていた。こういう象徴的な出来事ってしっかり感じ取る癖をつけた方が良い。人生の選択の分かれ目の選択を促すヒントだから。そしてその道が正しい道だという印だから。

人生の分かれ目でAかBか、右か左か「選択」をする、しなければいけない場面がある。それが時として最初は”キツイ”だろう選択でも、先の未来には”楽”になる選択はある。そうするためにはその時に固執しているものや人間関係などを手放すことも必要だったりするし、そうすることによって強い向かい風にあたることもある。でもそうできなかった選択の顛末は”ほら見たことか”ということになる場合もある。

自分はこういう考えで生きているが、周りはそうだとは限らない。結局のところ選択をするその本人の人生であって、選択の自由意思を自分がそうだから、そうしてるからと周りが削いではいけないし、介入をしてはいけない。カルマは自分自身の選択と行動でしか昇華できなと思っている。

これから「コーナン」に買い物の出直し。朝から自転車こいでええ運動やわ。


正美

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