やっと行けた吉野ヶ里遺跡・・・

吉野ヶ里遺跡の二重の環濠集落内


6月から始まった父の実家の空き家解体問題で佐賀を訪問し始めた時、千栗八幡宮に立ち寄って福岡に戻る道中に「吉野ヶ里遺跡公園」の看板を見て行きたいと思っていた。その後は解体作業に向けての怒涛の佐賀との往復が始まり、もちろん呑気に遺跡見学に時間を要する暇もなかった。

先日、これで佐賀に来るものしばらくは無いだろうと解体も終えた日、時間もタップリあったので「吉野ヶ里遺跡」に立ち寄った。こういう機会がないと来ないような場所でもある。一昨年の青森の「三内丸山遺跡」もそうだ。


公園の地図

公園東口エントランス


公園東口の駐車場(有料)に車を止めて遺跡公園に入場する。公園全体の地図を見るとこんなに広い敷地なのかと思ったが、主に遺跡見学をするところは一部なので2時間もあればゆっくり巡れた。チケットを購入しパンフレットを眺めていると、ボランティアガイドの男性が声をかけてきてくれた。ガイドさんもほんとアタリハズレだという事は、添乗員時代に十分わかっている。時間配分が下手で、一旦スイッチが入ると話が止まらなくなり講義が始まってしまう。


”どれぐらいの時間の案内ですか?”


と質問すると”20分程度です”とハッキリと返答してくれた。感じのイイおじさんだったのでお願いすることにした。


物見やぐらからの景色


公園に入場し上手く日陰を選びつつ説明をしてくれる。そしてポイントを上手く説明しては場所を移動し、最後のポイントでこう巡ると要領よく見れますよ的なアドバイスもくれた。ふと自分の添乗員時代のガイディングの姿が記憶によみがえってきた。

吉野ヶ里遺跡って「邪馬台国」か?なんて論争がずっと続いてる。畿内説もあり実際の所、その落としどころも未だ定まってなく、これからもずっと続くだろう。でも、自分は九州説かなとは思う。とは言っても、ハッキリとした根拠を上げ説明も自分はできるわけではないが・・・。そんな気がする程度。


集落の議会前

9時にオープンしてすぐに入場したので、見学者は数人程度。静かにのんびり敷地を巡り、入場できるところも、誰にも邪魔されることなく見学ができた。天気も雲一つない快晴。西口の周辺ではその日は吉野ヶ里町のイベントも行われていたようで、徐々に人が集まる姿、そしてすでに始まっていた和太鼓イベントの音が遺跡の方に流れ聞こえてきた。

実際はこうだったのでは?という当時の建物。この集落の議会に使われたであろう建物もこんな形をしていたのかは不明だ。でもそこはあまり気にせず、”そうなのねぇ”と淡々と流し見ていく方がいい。


議事堂2階の再現模型

議事堂3階の再現模型


自分はちょっと考えが捻っているので、どうもこの再現された人々の姿も真実味を感じれない。もしかしたら髪型も今風だったりか、長髪で後ろで束に結っているだけだろうかとか、服ももっと凝っているとか、そんな考えを巡らせる。どうやらここは王と重要なことを決める場ではという事になっている。


そんな様々な話し合いも上手くまとまらないときは、さらに上の階に控えている巫女が神よりの神託を受け、それに従う的な流れになっているそうだ。


甕棺の中の死者の再現

甕棺の発掘現場


遺跡見学ルートの一番最後には甕棺が多く発見された場所と保存見学できる場所がある。王やまた権力をもった者が他の住民とは隔てて埋葬されていたと考えられている。しっかりお金をかけて保存しているなって思う。とても立派な施設だ。この吉野ヶ里遺跡って30年ほど前に発掘され、20年ほど前から遺跡公園として整備されて公開されている。駐車場料金と合わせると1000円程度の見学料なんだけど安いのかなとも思える。施設維持にお金もかかるだろうに・・・。この日は週末で野外で勾玉や鏡作りの体験も行われていたがパスした。展示室もさっと流し見程度で済ませたけども楽しめた思う。

今回はひょんなことから佐賀を往復することになったが、そのおかげでこうして「吉野ヶ里遺跡」を見学出来て良かったなと。


正美
 

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