石切劔箭神社の祈祷とカレー大盛・・・


先月、凶弾に倒れた安倍ちゃん(安倍総理)の献花に奈良・西大寺駅に献花に訪ねた帰り道、古代史探究がてらに「石切劔箭神社」を訪ねたが、今日再び神社を訪ねることになった。


昔の仕事で大変お世話になった先輩が大病を患われて、またまた「生還」を果たされ入院中だという事を先週久しぶりに連絡を取り知った。その「病気平癒」を祈願しようとすぐに頭に浮かんだのが通称”石切さん”と呼ばれている「石切劔箭神社」。ついでに、自身もここ数年スッキリとしない体調改善を祈願する祈祷を受けることにした。話を少し聞くと、発症した時にそのまま亡くなっててもおかしくないとても危険で突発的な病気だ。つくづく運が強く、ご加護の強い方だなと改めて思った。


近鉄「新石切」駅から神社の道中、前回気づかなかった「ドラえもん」「ドラミちゃん」像がマンションの玄関先に飾られていた。

”あら!?なんでドラえもん?”

と、疑問に思った。どうやら”どら焼き”が石切の名物になっているというに後で気が付いた。自分がそのどら焼きを買ったお店では「石切もちどら」という餅入りのどら焼きを販売していた。折角なので、自分用に一つ買ってみた。最近はてっきり甘いものを口にしなくなったが・・・。


祈祷の申し込みを受ける前に拝殿で”こうこうしかじか”で今日の参拝の目的を伝えてご挨拶をすませた。そして祈祷の申し込み用紙を記入した。”数え年”を記入しなくてはいけないが、とうとう自分の数え年が「50」という数字にギョッとする。受け入れたくない数字、現実だわ・・・(-_-;) 知人の分も書いてギリギリ午前の祈祷の締め切り時間(11:30)に間に合った。ちんたらとしてたら、巫女さんにせっつかれてしまった(笑)

前回祈祷を受けたのは三峯神社(三峯神社の旅~祈祷を受ける)だったが、その時みたいに太鼓でびっくりさせられることもなく、いたって”穏やか~”な感じ。神主さんが祓詞を奏上して大幣で”サッサッ”と祓ったあとに、たぶんだけど「十種祓詞」だと思う祝詞を奏上していたと思う。神主さんって滑舌よく一語一語言葉を発するものでもなく、なんとなく音をつなげながら発音するので聞き取りづらい。”・・・・玉”の「玉」は聞こえたので、”あぁ、十種の神宝だな”とは思った。

「一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやここのたり)、ふるべゆらゆらとふるべ」

この言葉(「不瑠の言」というみたい)は言ってなかったと思う。聞き取れなかっただけかも・・・。この言葉には病気を治したり、死者をも蘇らすと言われるほどの霊力をもった言葉という事だ。


祈祷を終えて降殿し授与品をいただいた。そして事前に説明されたように(説明書きもある)、神主さんが祈祷をあげてくださる一週間(祈祷料によって異なる)の間、「祈念紙」と「御守り」を肌身離さずもって、毎朝最初に飲む水と共に米を一粒食する。一週間で計7粒食するという事を実践する必要がある。

説明書きに寄れば、昇殿し祈祷を受けた1回と家で1週間行う米粒を食する7回、計8回で一つの祈祷の区切りとするそうだ。古代より「八」という数字は”極大”を聖なる数字ということなんだそうだ。この神社の名前に「劔(剣)」という文字が含まれているように、聖なる言葉と聖なる劔の霊力で病気との縁を断ち切ったり、その他の祈願を成就に導いてくれるというご利益でこの神社は有名だ。


神社を後にして、用事のついでにすぐに知人が入院している病院へ届けに向かった。ご時世で面会が叶わず、看護師さんに預ける(時間指定されている)ことになっている。ちゃんと、届いたとの連絡が知人からも入っていた。来週にも退院できそうだとのこと。本当に良かった。自分も丁度良いタイミングで連絡が取れたなと思う。

病院の最寄りの駅は「春日野道」という阪神本線の駅。この駅は改装されるまでは「日本一危険なホーム」のある駅で有名だった。今でもその危険なホーム(利用されていない)はのこっている。3mあるかないかのホームだった記憶がある。そこを特急列車が通過するというそんな駅(笑)

「春日野道」の”春日”という言葉がここの地名に含まれている。知人がここの近くの病院に搬送された縁がどこかにあるんじゃないかと思っていたら、この”春日”という言葉じゃないかなって思った。”春日”氏という古代の部族は物部氏の支族。知人が住んでいる場所はまさにそんな古の物部氏の拠点と言われているところ。偶然のようで必然のような流れだったかもしれないなと勝手に考えを巡らしている。


「健康」の祈祷を受けておきながら、昼ご飯はいきなり”チキンカツカレー”大盛。梅田に寄ると「ピヨ」のカレーは避けて通れないのよ。

”意味ないし~~~~”

”緩いな、お前・・・(笑)”



正美


















 

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