パニくる猫様とお盆参り・・・
最近、うちの子達を玄関前の通路でちょっと冒険をさせてあげてる。もちろん主の監視付き。兄猫は結構テクテク歩いて目を離すと危なっかしい。妹猫も腰は引けながらも”気になる~”お外に日々一歩一歩距離を伸ばす。昨日はちょうど二匹で日向でダラダラとしていた。そんな時に郵便配達のお兄さんがエレベーターからの突然のお出ましに猫様たち大動揺!ここで兄猫は意外と冷静に玄関へ一目散に戻るが、妹猫はもう”どうしよう、どうしよう!!!”とパニックになり始めた。自分の立ち位置も悪く、行ってほしくない非常階段へ逃げ始める。
”ヤバい!”
兄猫が玄関に入るのを見てるので、すかさず妹猫を追いかける。パニック度合いを増さないようにゆっくりと。1階したの通路に上手く走り込んでくれていた。”ミャ~ミャ~”と低く唸るような響きの声を出して恐怖心を伝えている。しゃがみ込んでくれたので何とか捕獲。しっかり抱いてあげて恐怖心を抑えてあげるが、主の腕の中でもまだ気が落ち着いていない。やっぱり、良いハーネスを探さないといけないね。
”ごめんよ~!悪いことしたね・・・。”
猫様たちが落ち着いてから、お盆なので先祖供養の写経を一巻納めに写経堂へ出かけた。天王寺界隈は四天王寺、そして一心寺を訪ねる人たちで賑わっていた。写経堂も混んでるかなと思ったが自分一人だった。写経を書き終えそうな頃合いに次々に人がやってきた。先にお参りを済ませてから来たのだろう。姉が亡くなるまでは「為」書きは先祖代々の御霊に書いていたが年の節目節目に切り替えて、それは以外は姉の御霊に両親と書いている。こういう形でしか両親に供養をさせてあげれないのが心苦しいが、一日でも早く姉の御霊が成仏がなされるようコツコツ書き上げるしかない。
空調の良く効いた写経堂を出ると外はうだるような暑さだ。この勢いで京都の大谷本廟までお盆参りも済ませておこうと駅に急ぐ。さすがに両親をこの炎天下に京都を歩かせられないと誘わないことにした。車を借りようかとも考えたが、お寺周辺の駐車場を探す面倒だった。年々京都までの道のりが億劫になっている。特に京都にはここを訪ねる以外は用事がないと言えばない。神社仏閣も今ところ訪ねたいところもない。けど次いでの距離にある「八阪神社」だけは訪ねて帰ることにした。こんな暑く、通り雨が過ぎて湿気が満ち満ちた町を歩く人たちの多さに驚く。
昨年末に訪ねて以来の”八坂さん”。古代史探究での考察の対象の神社。正式には「牛頭天王」(もともとインドの祇園精舎の守護神。疫病を防ぐ神)で、相性の「天王さん」で呼ばれていた「素戔嗚命」が主祭神で、妻の「櫛稲田姫」と8人の子供たち「八柱御子」が一緒に国宝の本殿に祀られている。弥生時代~古墳時代の話であろう古事記/日本書紀に描かれている素戔嗚命なんだけど”ホンマやろか~”なんて思ってる。
本殿の裏に回り北側からの参拝。そこに有名な素戔嗚命が詠んだという日本最古の歌碑がある。”八雲立つ~”ってやつ。この歌も自分は疑い深いので”2000年以上も前にホンマに素戔嗚命が詠んだんかいな~”って思ってしまう。「記紀」が編纂されたのは7世紀後半から8世紀前半にかけてというのはそれは事実なので、その時代の言葉でそう詠んだということならそう音が響かないわけでもないけど、こんなハマりにハマった言葉の響きがその当時にこんな現代でも通じる言葉で完成していたのかって疑問を持ちだしたらきりがなく、きっとそのあたりは別ジャンルの探究になるのかもしれない。弥生時代~古墳時代あたりの史実を追うだけならそこはスルーした方が良いと思う。
八坂神社歩いて京阪「河原町四条」まで歩いて帰ることにした。ちょうど駅への階段に向かうそばに京都南座がある。坂東玉三郎と片岡愛之助の「四谷怪談」がやっているようだ。値段が半端なく高い。来月の「ミスサイゴン」もそんなに値段は変わらないけど。軽く”観に行こう~!”って言えるくらいの懐事情の余裕が欲しいね。昔はそんなこと気にせず余裕無くても”とりあえず行っとけ~!”って感覚だったのにさ。
そんな考えを巡らしながら電車に乗る。サクッとできる贅沢はプラス500円でプレミアムシート代を払って、席取りにあわてることなく気持ち落ち着けてのんびりと帰路を楽しむくらいだね。今は・・・(笑)
正美
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