日出ずるところにある「日本」・・・

一応今日は先日に変更になったシフト出勤日。でも変更になる可能性があるかもと職場から連絡が入ったのは銭湯を上がり缶ビールを飲みながらロビーで落ち着いていた昨日の夕刻だった。ちょっと動くに動けない今日の朝。休みになればいきなり三連休となる可能性もあるみたいな・・・。連休は避けて働くほうが出費が減らせる気がする。ついつい遠くへ行きたくなる癖がでるからだ。近場、遠方、行きたい所があり過ぎる。いずれにしろ待機をする一日。まずはマクドナルドで早朝の涼を取りつつ朝コーヒー。あとで家に戻ったら、万が一出勤になった場合の為に弁当のお米を仕掛けておくか!

今朝の日の出は4:50分ごろに地平線を上がり、生駒山の稜線を抜けて大阪平野に陽の光が注ぐのは5時過ぎだった。少しずつ冬に向かってその時刻がずれ込んでいく。訪ねてみたい場所に生駒山周辺の史跡がいくつかある。その一つに史跡ではないが東大阪市に「日下」(くさか)という町がある。生駒山のちょうど麓。実はこの「日下」という地名は今の日本の国号の元となった地名だそうだ。それは弥生時代とのこと。

この辺りは昔は「草香」(くさか)という地名だった。そして現在の日本の黎明期の大王はこの生駒山の麓から山の東の稜線を仰ぎ見、そこから昇る日の出をみてこの麓は「日下」(ひのもと)であると。そして後にその言葉を枕詞に「日下(ひのもと)の草香」となっていったそうだ。そして「日下」(ひのもと)が「日本」(ひのもと→にほん)に読みが変化していく。

”へぇへぇへぇ~”

だよね。「飛鳥の明日香」(とぶとりのあすか)、「春日の滓鹿」(はるのひのかすが)と同じで枕詞が地名に転化したということらしい。こんなの習ってないよ~。またその言葉が生まれた背景に日本の黎明期、弥生時代~古墳時代の裏歴史、本当の史実があるとなればその興味も深まって、新しい事にも意識も向くようになる。そう言えば、3年くらい前だろうか?全国の一之宮巡拝を始めて河内国一之宮の「枚岡神社」を訪ねたことがあった。まだ何もわかってなく参拝して裏山の奥宮まで足を伸ばした。近くに展望台があって大阪平野を一望した。ちょうどそこからの麓あたりがその「日下」(ひのもと)日下町近くなる。

その時はただだだっ広い大阪平野を見るだけで古代の地形もイメージもしなかった。大阪平野は当時は「河内潟」で海からの入り江になっていた。当時の日本の礎を築いた開拓者はここにあったであろう入り江から上陸したのだろうかと今なら想像してしまうかもね。でもまだまだ”なんとなく~”、”おぼろげ~”な感じの理解の域には変わりはないので、引き続きコツコツと理解の幅を広げていきたいなと思っている。

自分っていつもそう。”まずは現地に行っちゃえ!”というスタイルで、そして興味をもって色々その景色を思い出しつつ、本を読むなりして”あそこはああだった。こうだった!”と振り返ることが多い。それをする理由は、本を読んだりするにも出てくる情景とかが浮かぶ方が読み込みやすいから。でもおさらいの再訪がなければ”もったいない”訪問だよねって。その分の費用の元を取るのも半減してるようなものだし。最近は”行くから、訪ねるから”にはと幅広く、手広く知識増やせるようには努力してる。良い傾向だね(笑)

今日も基本「お一人様」で○○な今の世の中を、自分の世界はそんな○○な世界にならないよう、夏の熱さを”ポジティブ~”に心地よく浴びて、仕事なら仕事へ、休みなら休みで柔軟に事を楽しんでまいりましょう。


正美



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