夜勤明け後、ちょっと奈良へ・・・
ずっと夕方からのシフトが続いていて、急に昼からのシフトに変わると弁当の準備やら時間配分の段取りが狂う。ちょっと余裕がなくなるのよね。やっぱり夕方から翌日昼までのシフトが一番働きやすい。以前は朝に終わってその後も時間が十分あるといそいそと出かけていたが、年々そんな気も起きなくなっていた。久しぶりに奈良に「記紀」(古事記/日本書紀)の裏史にゆかりのある神社を二社巡った。無理に行くこともなかったけども、奈良市内はいつも大神神社への経由地だから頻繁に訪ねることはない。
近鉄奈良駅を降りて、5分程歩くとすぐに「漢国(かんごう)神社」がある。ここの主祭神は「大物主命」(おおものぬしのみこと)。大神神社と同じ神様を祀っていて、配神に「大己貴命」(おおなむちのみこと)と「少彦名命」(すくなひこなのみこと)が祀られていいる。配神の二柱は藤原不比等が付け加えた神々だ。「記紀」は事実ももちろん含まれるだろうが特に神代の時代は創作で、その編纂を指示した人物や支配者層が喜ぶように物語は語られている。その当時の編纂者であり、編纂を支持したものたち天武天皇、持統天皇、藤原不比等など、特に後者二人は自分たちに不都合となる史実を書き換えた。つまり改竄というやつ。
この主祭神・大物主命(おおものぬしのみこと)は「記紀」の編纂の為に創作された名前で、本当の名前は短く言えば饒速日命(にぎはやひのみこと)、長く言えば「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてらすくにてらすひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)という神で、大神神社のご神体山の三輪山に眠っていると言われている。この神の存在を受けいるというか、理解することで「記紀」の神代の物語の滑稽な展開が、急にイメージの中で違う物語が流れ始める。なるほど・・・という具合に。
「記紀」の物語は弥生時代以降の話。読んでいてもそれは分かる。それ以前(縄文時代など)の話は別次元、時にはオカルト系の話になるので、今は興味があっても時期早々(理解不足)だという事をちょっとかじってみて痛感した。幸いにも弥生時代以降はまだ根拠となる考古学的な物証や神社の由緒書や祀られている神々、またその当時の部族、豪族たちの存在、勢力図から紐解いていくことができる。実際は、紐解いてくれた人たちの答えを参考にしているだけだけど(笑)
漢国神社からさらに5分程歩くと「率川(いさがわ)神社」がある。ここは大神神社の摂社。摂社というのは本社で祀られている神とゆかりのある神が祀られている社で、つまり大神神社の大物主命とゆかりのある神ということ。ここの神社は本殿となる三社に「媛蹈鞴五十鈴媛命」(ひめたたらいすずひめ)を真ん中に左右に「狭井大神」(さいのおおかみ)と「玉櫛姫命」(たまくしひめのみこと)を祀っている。これら神々の関係は親子関係になる。
狭井大神は大物主命こと饒速日命のこと。媛蹈鞴五十鈴媛命は饒速日命と玉櫛姫命との間の子。そしてこの姫神が初代天皇といわれる「神武天皇」の后となったわけだけども、天孫降臨神話の九州の日向(ひむか)から”東征”して橿原の地で初代天皇になった・・・。これは表向き。実際はどうだったか?その点をガッテンするには第十代天皇・崇神(すじん)天皇の存在と彼の事績も関係してくる。本当に目から鱗、点と点が繋がる、そして先にも書いたけども急にイメージの中で別の物語が流れ始める。昨年から訳あって福岡・佐賀を何度も何度も訪ねたけども、自分の理解を深める助けに偶然なっていることに気が付く。
この日は本当は大神神社まで行こうかと思っていたけども、疲れというか朝から急に花粉症かわけわからないアレルギー性鼻炎がでて(最近どうもおかしいのよね)、JR奈良駅まで向かう途中にある第九代・開化(かいか)天皇陵をさっと見て帰ることにした。実はこの開化天皇から次代の崇神天皇へ史実も実はこうだったのかとガッテンすることがある。このことは表向きはこうだと理解して、事実はこうだとうことなんだよねという「皇国史観」を持たざるをえない気になる。
JR奈良駅ってこんな感じになっていたんだね。開発前の駅を利用したのが最後で以後は乗り換えばかり。洋館風な旧駅舎の記憶も残っていなかった。今は観光案内所で再利用されている。中にスターバックスもあって「ピーチフラペチーノ」に釣られそうになったが、ここにくるだけでも出費なのでグッと我慢して電車に乗った。
あぁ、ほんとにこのアレルギー性鼻炎何だろう?確か去年も朝の仕事明けに急にドバーっと鼻水が流れ出して、その時さすがに我慢できずに市販薬を飲んでしまった。今年はそれ間程でもないが、コロワクのシェディング問題もあるから気を付けないといけないんだけども、まぁ銭湯に毎日通ってるだけで意味ないけどさ・・・(-_-;)
さて、弁当作りして昼出勤の準備をします。
正美
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