「光の道」と宮地嶽神社・・・

元々、予定は宗像大社・辺津宮と志賀海神社の二社だけだった。15時位までには車を返して空港でのんびりしようと考えていたので、宮地嶽神社に立ち寄るつもりもなかった。しかし宗像大社・辺津宮からの志賀海神社に向かう道中にあって、ここの有名な「光の道」という景色を一度眺めて見たかった。さらにご祭神は「神功皇后(気長足姫尊/おきながたらしひめのみこと)」と神話、古代史巡りのテーマからも外れていない。神功皇后はこの地に滞在した時、神社のそばの宮地嶽(180m)の頂きに登り、祭壇を設け渡韓前に天神地祇に開運の祈りをささげたという事になっている。

「日本書紀」で神功皇后は崩御した夫の仲哀天皇との間に生まれた皇子、応神天皇の摂政として三韓征伐等で活躍している。自分にはこの皇后はちょっと謎というか、人物像というか、彼女の活躍した時代の情景とかがイメージとしてハッキリ見えてこない。まだ自分の理解がそれ以前の時代でつまずいているからだろうが、とにかく古代史を理解する上では子の応神天皇とともに重要だと思っている。今「日本書紀」と併読しはじめた一冊もそう述べている。

駐車場に車を止めて、参道の階段を上がり始めた。「光の道」っていうのはどんな感じか?階段をどこまで上がればその景色が見えるのか?振り返り、振り返り階段を上った。結局、階段を上り切ったポイントで振り返ると「光の道」といわれる宮地浜へ通じる一本の道が広がった。

”へぇ~、こんな感じねぇ~”

って、案外気持ちの盛り上がりに欠ける。天気が曇りっていうこともあるし、また太陽が水平線に沈んでいくタイミングで「光の道」が見える季節でもない。でも折角だし写真は撮ってみた。40代男性だろうか両親と同じように階段を上ってきて記念撮影をしていた。方言のほのぼのした会話が聞こえてきて気持ちが和む。人良さそうなご家族だった。そして撮影を終えてさらに参道を進むと真正面に山が鳥居の背後に聳えていた。

”おや!?”


見ればすぐわかるご神体的な山。存在感が凄いな。”そんな内容のことサイトの「ご由緒」に書いていただろうか?”と思いながらかくかくと曲がる参道を本殿のある境内へ向かう。なぜだろう?明らかにこっちだろう!?って思う存在感あり過ぎる山・・・。こういう時はある神仏系作家のブログをチェックすれば情報があることがある。そして調べてみれば、やっぱりこの山の方が重要っぽい内容が書かれていた。

拝殿でご挨拶を済ませて、御朱印を貰いに行く。待っている間に境内の写真を数枚撮影。奥之宮八社巡りというのもあったが今回は諦めた。

「心願成就」と書かれた御朱印。願い事も選んで書いてもらえる。絵柄付きのもあるそうで選択枠が多い。結局は無難なこれにした。ただ一番安かっただけなんだけどね(笑)

また来る機会があれば宮地嶽の事、祭神の事についてもう少し調べてみようと思う。たった180m程の山の存在感がホントに強いんだよね。

気になる〜・・・!


正美

コメント

人気の投稿