安倍ちゃんの「死」と選挙とか・・・
7月8日、安倍晋三元総理大臣が銃撃された。奈良の大和西大寺駅北口前での応援演説中の出来事だった。この日は午前中に「あびなんミュージアム」(我孫子南中学校内)に出掛け、住吉区各所でナウマンゾウ等の足跡などを含む様々な資料や発掘品の見学に行った。その施設の中で自分が最も見たかったのは当時の大阪湾周辺の地形の変遷を示した地図だ。ネットで検索すればサッと出てくる情報でもあるが、近くで未だに行っていなかったので訪ねてみた。
家に戻りしばらくベットに横たわっていると、母親が何か言っているのが聞こえたので”なんだ!?”と行ってみると、安倍元総理が銃撃されたというニュースだった。正直な感情を言えば特に驚きはしないというか、”えぇぇぇ・・・”と驚愕することはなかったが、凄い事件であることには違いない。どこからそんな落ち着いた感情が来るのかは、”今何が起こってもおかしくない!”世の中だからと感じているから。結局は安倍元総理は射殺後すぐは意識はあったが、夕刻に死亡が確認された。その後は様々は情報、憶測が飛び交う中で日本、そして世界へ発信されていく。
2日後の参議院議員は自民等の保守安定過半数の結果となる。予想通りの結果だった。「予想通り」という言葉には色々な含みはある。含みを持つ理由は、自分が興味を持ちアンテナを張って得る情報のフィルターもかかっている。そんな「予想通り」と結果が見えている選挙でも、反映されるか、されない不透明さがある自身の一票の「主張の権利」をちゃんと行動としては示しに投票所に足を運んだ。
党首、役員、そして議員本人たちが様々な政策論議を選挙前中後に展開をする。しかし見方はどこか白けた感じがぬぐえない。よく”パフォーマンス”という言葉が用いられるが、まさにそんなショータイム的な感じがする。それでも中には「確信」を一点突いて今まさに”ここだよ!”と指摘でする候補者もいて、党もある。そんな気概のある選挙区/比例候補者、政党に今回一票投じた。一番投じたい候補者は他県選挙区だったけども・・・。
昨日、大和西大寺駅前の事件現場に安倍元総理への献花に行こうとまずは近所の花屋に立ち寄った。いつも神棚用の榊をそこで買っている。色々な考えを持っている人がいるので迷ったが、正直に”献花に行くので、1000円程度で・・・”とお願いをした。すると、店員の女性は”素敵ですね・・・”と言葉を返してくれた。疑問、疑惑が多く残る事件で、現状現実の世界では「死亡」と発表になっている故人に対して哀悼の意を表しようという考えに、そういう言葉で返してもらえたことは素直に嬉しく思えた。
近鉄「難波」駅から奈良線に乗り込む。乗客には同じように献花を手にした乗客がいる。自分の隣には20代後半だろうか?花を手にしている男性が座った。そして大和西大寺に到着すると、献花をすでに終えた人、そしてこれから向かう人達が行きかっていた。平日なのにこの人出。これが「サイレントマジョリティー」なのかと感じる。あれだけ、マスコミ・メディアで元総理への露骨な印象操作が行われている中、それを知ってか知らずかこれだけの数の人々が安倍元総理へ別れを告げに足を運ぶ。「安倍晋三」という人は生前、死後、”謎”というか”魅惑”(魅力によって人の心をひきつけ、まどわせることの意)の持ち主だと思った。
かなりの人の列だったが、一旦並び始めても20分ちょっとで献花台まで行き着いた。老若男女、親子、学生、社会人、ご年配層と実に様々だった。花はドンドンと束ねられカートン詰めにされ、次々とやって来る献花者へ献花台のスペースを用意する。列が続く歩道には警備員はいない。それでも献花者は当たり前のように正しく並び、そして歩道の切れ目、路地、立体駐車場の入り口へのスペースをちゃんと間隔だけは空けて列を自主的に作る。
外国メディアだろうか?外国人の男女が2名いた。通りすがりに女性が英語で”なんでこんことしているの?”的な声が聞こえた。献花をする行為にたいしてだろうか?それとも長蛇の列に律儀に並んでいることにたいしてだろうか?いずれにしろ、これが私たちの故人に対する「気持ち」を表す行動としか言いようがないと思った。
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