MARCH 2024 ~ 饒速日命と長髄彦めぐり⑤~矢田坐久志玉比古神社・・・


シュールだよね。この「伝承・一之矢塚」。「矢田坐久志玉比古神社」に向かう前に最初に立ち寄った場所。事前にネットでそのポイントを頭に入れて車を一番止めやすい場所に置いて田んぼの畦道を歩いて進む。ここは饒速日命が天磐船に乗り、宮居(宮殿)にふさわしい場所を探すため誓約の矢(天羽々矢)を3本放ったうちの1本が落ちた場所。そう伝承です。そして2本目は「矢田坐久志玉比古神社」の境内に落ち、3本目は神社よりさらに北より所に落ちた。



”何なんやろう、この塚は?”と一つ一つ巡って考えていた。最後の三之矢塚にあった看板に書かれていなのは、この塚を含めたすべての塚の南方先には三輪山や大和三山を望める要害の地であると。”なるほど”と、霞がかかってる三輪山の方角に目を細めた。晴天でもちょっとわからない。

でも、確かに南東の方角に三輪山がある。面白いと感じたのは3つの塚が綺麗に一本につながる所。伝承の域なので後付けとも取れなくないけれども、饒速日命と大和の神奈備と称され、さらに饒速日命が眠るとされる「三輪山」と繋がりの象徴とも取れなくもないなと思った。


「矢田坐久志玉比古神社」について境内に入って目線の先に楼門がある。そこに旧陸軍の本物のプロペラが飾られている。航空の神様をお祀りする神社ということで奉納されたものだという。そこでその航空の神様だ誰かというと饒速日命ことで、天翔ける天磐船に乗り降臨したという話に繋がる。この神社にはその饒速日命と妻にあたる三炊屋姫の2柱が主祭神となっている。その由緒にもそのように書かれていた。しかし、この神社には本殿にもう一つの社がある。表に出ていない神がいる。

その話を事前に知っていたので拝殿奥の20段ほど上がった先の社を首を伸ばし覗き込んだ。主祭殿、そして右殿は朱色の春日作社殿がすぐに確認できるが、左殿はなかなか見えない。朱色でもない。でも確かに社があった。”あれか~”と首だけじゃなく、鼻下も伸ばして必死に覗き込んだ。


主祭殿・・・饒速日命(夫)
右殿・・・・御炊屋姫(妻)
左殿・・・・????

饒速日命が祀られていて妻も祀られているのは分かる。左右のどちらが上位かという話になると左殿が基本上位になるそうで、もしそこに妻が祀られていれば、右殿に子の宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)がくればスッキリなのか!?でも上位にあたる左殿が空いているということは三炊屋姫から見て上位にあたる誰が祀られているべきなんだが・・・

饒速日命も含めた関係性をからめて左殿に祀られている神は誰かと考えるとやはり考察本でも触れられたように長髄彦やろうなぁ・・・と。主祭殿に饒速日命と深い関係性かつ御炊屋姫よりも上位。主祭殿の神が伏せられているなら「添御縣坐神社」と同じこと。そこまでして伏せないといけない長髄彦の存在って余程大きいのだろうと思えてくる。


帰り際に二之矢塚にある岩「舟人神」を見にいった。この岩は天磐船の破片とも、天磐船が降り立った後に盛り上がり出たとも。

ここで以前から訪ねてみたかった生駒山越えの饒速日命、長髄彦に関わる神社訪ね巡ることができた。次は奈良・葛城方面の「欠史八代」にまつわる天皇たちの所縁の場所も巡りつつ、葛城物部氏を追いたいと考えている。


正美



 

コメント

人気の投稿