MARCH 2024 ~ 饒速日命と長髄彦めぐり②~磐船神社・・・
大阪府交野市にある磐座神社。天孫・饒速日命が降臨した場所という。大阪産業大学付近から府道8号線を生駒山に入り天野川に沿って進む。すると磐船神社ある。ご祭神は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテラスクニテラスヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)」で、つまり饒速日のこと。記紀では神武天皇より先に大和に天降った神であるということを塩土老翁(シオツチオジ)から聞くくだりにだけ登場する。一説では天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と兄弟関係にあって兄であったという。
記紀(古事記・日本書紀)、先代旧事本紀、秀真伝などの物語では神々の系統はどれが真実かはっきりしない。真実は一つなんだけれども異なる伝承に振り回されていると自分なりの理解が進まないのでこれまで手を付けている記紀と考察本や動画を頼りに探究を進めるスタンスを取っている。
この神社を訪ねての率直な感想は・・・、
”う~ん、ここが饒速日が降臨した場所ねぇ・・・”
と、首をかしげる感覚を持ったというのが本音。確かに日下(草香)の辺りから饒速日率いる物部集団が生駒山を越えたとう話は、饒速日なる神(人物)がいたという前提でそうあってもおかしくはないと地理的な条件から思えた。ただここに饒速日が来たか(降臨した)どうかは疑問が残る。磐船神社を降臨地とするなら後に物部集団が勢力を拡げる大和・葛城地方とは方角が逆で、わざわざ天野川沿いに川を上ってる。自分は神社に入った瞬間からこういう考えが湧いた。饒速日の降臨話では一旦定まるかにみえた宮居(宮殿)をもう一度探し定めるために天磐船から矢を三本放ち、矢が落ちた場所の一つ、後に訪ねた「矢田坐久志玉比古神社」に定めたと。
この神社は饒速日の降臨地とうより古代磐座信仰の大切な祭祀場だった。饒速日とは関係は無くはないと思うけれどもその話に乗っかってる気がする。神社境内周辺にはそう感じずにはいられないほどの巨石があり、主となる巨石の前に拝殿がある。磐座信仰だと縄文時代寄りになるので、以前よりこの地を拠点にしていた長髄彦の率いる縄文系部族とより深い関係性があると思うのが妥当ではないだろうか?
神が宿るとされる石。原始信仰では基本的に自然崇拝を行っており、神は山、樹木、石などに宿ると考えられた。このうち神が降臨した石(岩)が神聖視され、信仰の対象となった。
ところでこの神社では「岩窟めぐり」という巨石の岩間に通って修験道さながらの体験ができる。以前からそのことは知っていたが、今回はその受付時間帯前の参拝だった。それに加えて、いざ実際の入口前に立ってみると入りたくはないなと感じた。ポツリポツリと朝が早いのに信心深い参拝客が来る。若い女性もいた。介護職関係だろうか?そんな雰囲気の様相を見て感じ取れた。
次の目的地に向かう前にこのあたりに「長髄彦本拠」の碑があることを思い出した。ちょうど道中のマクドナルドでコーヒー休憩を取っている時だった。
”そうそう、ここはやっぱり饒速日というより長髄彦の存在をより強く感じるなぁ・・・”
と、物思いに耽りつつ渋いコーヒーをすすった。
正美
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