MARCH 2024 ~ 饒速日命と長髄彦めぐり④~登彌神社


車を「登彌神社」へ進める前に、富雄のイオンモールに立ち寄ってお弁当を買うことにした。平日にも関わらず凄い人。スーパーのレジは長蛇の列だった。近くには今考古学会で話題の「富雄丸山古墳」がある。翌日から2日間、国宝級の剣が発掘された古墳の一般公開が行われるとのこと。さすがに一般公開の日までも出直せないなと諦め、イートインスペースで弁当を食べて先を急いだ。

道路標示に「薬師寺・唐招提寺」左折2.5kmとある。富雄から近かったんだと少し驚いた。以前は電車にのって「薬師寺・唐招提寺」に行ったことがあった。その時はもう少し天理・三輪に近い東よりという感覚でいた。近い周辺景色でも電車と車とではもちろん見える景色が違うから当然なんだろうけど。



車を駐車場にとめてまずは境内に入り拝殿前の「ご祭神」を記す看板を見てみる。本殿は東本殿(左殿)と西本殿(右殿)の主たる2柱の神と摂社の神々が”うじゃうじゃ~”と記されている。”うじゃうじゃ~”と端折ってしまうのは神々に失礼かもしれないが、自分の焦点は東西の本殿の神名だった。

【東本殿】高皇産霊神、誉田別命(応神天皇)
【西本殿】神皇産霊神、登美饒速日命、天児屋根命

まず両殿の高皇産霊神、神皇産霊神は古事記の神話の最初、天地開闢の話に天之御中主神の次に登場する神。3柱の神をまとめて「造化三神」と表されている。一旦この神々は案内板から消えてもらう。というのも、「記紀」などの神話に登場する神代の神名は実際神社て祀られている神、その名の神意というべきかとは一致しないことがある考えている。

そして次に天児屋根命は天照大神の岩戸隠れに登場する神で中臣氏、藤原氏の祖と言われている。神社紋が「下り藤」で藤原氏の紋でもあるし、本殿も春日造と呼ばれるもの。春日大社、枚岡神社の主祭神の天児屋根命と繋がりを安易に考えられる。自分にはさほど関心をひくものでもなく、これも後付けだろう。


では残りの二柱。まずは西本殿(右殿)の饒速日命はそこに祀られているべき神だと思う。で一方で東本殿(左殿)の誉田別命(応神天皇)は明らかに後付けされて祀られていることになっているだろう。それはあまりにも饒速日命とかけ離れた関係性だからだ。こういった考察は読んできた本でも指摘されるものだが、いざ実際自分で目にすると違和感を感じずにはいられない。親にあたる神、妻にあたる神、子にあたる神、さらには関係性の強い神が並ぶここでは並ぶべきなんだが・・・。

じゃ、誰か?長髄彦と考えたいし、そう考えると浪漫がある。土地に所縁ある神を祀るのであれば長髄彦が一番妥当だと思うけど、なぜ誉田別命(応神天皇)という”なんで?”という神名をあえて持ってきたのだろう。あからさまに長髄彦は表に出せませんというのだろうか?


今回、ここの社が一番印象に強かった気がする。ちょうど参拝をしようと境内に入った時に、先の「添御縣坐神社」で見かけたスーツ姿の男性がいた。声を掛けると1時間近く歩いてここまで来たとか。この先は一気に桜井の同名異語の「等彌神社」に行くそうだ。巡る神社から同じ探究をしているのだろうと思った。背広に身を包み参拝するちゃんとした方なのだろうか?それとも営業周りついでにとかだろうか?

今日は最終目的地を天理方面にしようかと当初は考えがあった。でもあと一社「矢田坐久志玉比古神社」が残っている。また次回いつか山の辺の道を歩くついでに行くことにした。


正美







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