目には目を、鬼には鬼を・・・

「片埜神社」境内の鬼面

昨年末は師走のごとくドタバタとしていた。”あれこれをしておかなくては”と次々と思いついて、すぐに行動に移す。母方の実家の清掃もその一つで、12月に一度行った時は大方大掃除を済ませていたが、その後に気が付いたことがあって必要なものを手に入れて再度訪ねた。

母方の家は祖母が亡くなった後に叔母が済んでいたが、リフォームをして昔の”婆ちゃん家”の面影が全くなくなっていた。それ以降まともに訪ねたこともなく、久しぶりに訪ねたのは2年前に叔母が亡くなった後だった。それでも1階の部屋しか足を踏み入れないでいたので、その他の部屋がどのように変わったのか見ていなかった。

「片埜神社」の鳥居前

色々と重なった昨年、自分は(借地上の)その家の名義を母から贈与という形て引き継いだわけだが、名義人となったからにはしっかり自分の目で確かめておかないと足を運ぶ回数が重なった。そこで気づいたのが風水的な観点からのお風呂(北東)と台所(南西)の位置だった。台所は昔からあった位置にそのまま残っていたが、風呂は新しく昔押し入れがあった場所に洗面所と付け足されていた。

「片埜神社」の境内

仕事中にふと思い出したように気が付いて、頭の中で方角の位置関係を思い浮かべてネットで風水の情報を検索する。するとやっぱりお風呂の位置は北東の鬼門、台所の位置は南西の裏鬼門にどっぷりとはまっていた。

”あらら・・・”

実際に自分が済んでいるわけではないが、名義人となったからにはちゃんとしておかないと自分に来るかもしれないと鬼門封じの札を用意しようと即決で動くことにする。ただ、”どこの神様に頼るべきか?”だった。ふと思いついたのが、堺市の「方違神社」だったけど、なんかピンと来ない。そして選んだのが枚方市の「片埜神社(枚方えびす)」だった。この神社は京都の「城南宮」、そして先の「方違神社」と合わせて三大方角厄除の一つのされている。

京阪電鉄「牧野」駅 

 

最終的にこの「片埜神社」にしたのが、この神社のある土地が「牧野」という名だったからだ。こういう共時性はとても大事で”婆ちゃん家”の鬼門封じはここの神様にお願いするのが”吉”という暗示だと思った。場所は京阪電車に乗り「牧野」駅から徒歩5分強と言ったところ。小さな神社だけれども豊臣秀吉が大阪城築城にあたり北東の鬼門封じをするために創建されたという社。その後、豊臣秀吉の天下取りまでの活躍は鬼門封じをしたからだろうか?

鬼門除けのお札

鬼面の授与品
 
社務所で鬼門封じの札を2体、それぞれ表裏鬼門用に購入した。普通のお札サイズの倍以上の大きさでビックリする。ありがたいのがビニールでお札がカバーされている上に、裏面には両面テープが貼られている。貼るときはお札の表面を幾らか切り取りお札が外に向き出るようにする。そうすることでお札の効力がビニールに妨げられないようにした。

あと「鬼面」の授与品も購入をした。鬼門の方角に向けて飾ると良いそうだ。もうすぐ節分だが”鬼は外”ではなく、この神社は”鬼は内”となるらしい。鬼にも良い鬼、悪い鬼がいる。その良い鬼を”内”に呼び込み、その力を借りて悪い鬼を祓うというこのなんだそう・・・。

”目には目を、鬼には鬼を”

だろうか?

「片埜神社」の御朱印

叔母が亡くなった以降暫く空き家になっていたが、その後姪っ子と娘がそこで半年ほど生活をしていたが、とりあえず長く住まずに引越しさせて良かったかなと思う。その家に住むときはそこをしっかりと肝に銘じておくべきだなと思った。


 
正美















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