一年が経ちました・・・

万葉まほろば線からの夕景

姉が亡くなって一年が経ちました。一周忌の法要は身内が集まりやすい日にあらかじめ済ませており、実際の命日にあたるのは26日だった。自ら選んだ道であるとはいえ、姉が選んできた選択が正しかったとは個人的には正直思えない。それを正す機会も何度かあったはずだ。そうする選択をしなかった。する勇気がなかった。ただただ姉の人生の顛末は残念としか言いようがない。美容師としての才があって、その道筋もちゃんとできていたと思うのに・・・。始まりのその選択、その後の選択の積み重ねによって悪循環にはまっていっていったのだろう。

奈良・桜井市の外山不動院

彼女の人生。

私たちは彼女の人生をとやかく言える立場に基本はない。今となれば「死人に口無し」だ。ある時期から自分は俯瞰して彼女の様子、その周辺の様子を見ることにしていた。そして距離を置いた立場から感じていた事、姉には”嵌ってしまった”世界が確かにあった。それでも最後まで大切なものを必死に守ろうとしていた。だから姉の思いを無にせず、同じ踵を踏まぬよう、姉の子供たちには人生、選択を大切にしてもらいたいと切に願う。

姉の塔婆供養

姉の死・・・

仕事を終え、今日はすぐさまご縁を頂いている奈良・桜井市の「外山不動院」へ足を伸ばすことにした。今年一年間護摩焚きを月に一度お願いをするためだ。姉のお塔婆の供養も甥、姪、姪の娘の祈祷分も併せて一年間お願いもした。なかなか直接姉の位牌に手を合わすことが叶わない環境にあり、実際にどのように供養が日々なされているのか皆目見当もつかないという思いから、両親に相談しお願いをすることにしたのだ。まともな状況かと言えば、必ずしもそうとは言えない。嫁いで亡くなってしまった者の「復氏」が叶うならそうしてやりたいと思うが、法律では叶わないようだ。悔しい限りだ。また甥、姪の心情もあるので、簡単に動けるものでもない。


年末年始に甥が訪ねてきた時の両親の嬉しい様子。法要で孫娘に会う事が久しぶりに叶った両親の嬉しい様子。本当に不憫だなと思う。離れていてもできる限り見守り、何か直接的な支援をしたいとささやかな年金暮らしの中でいつも思っているだろう。自分がそんなこと「するな」と言ったとしても、こっそりするだろう。それも十分かっているので、自分もそれがちょっとでも叶うように陰ながら協力をする。ただ本心は本来義務を背負うべき者がその義務を背負い果たさずいることへの憤りもある。


帰りに用事があり、大神神社に立ち寄る。もう16時を過ぎている。参拝する人もほとんどいない静まり返った境内。冷え込みがきつくなり急いで駅に向かう。万葉まほろば線で奈良経由で大阪に向かうことにした。とても綺麗な夕陽を買った缶ビールを車中で飲みながら眺めた。やる事がホンマにおっさん化してる・・・。

もうすぐ二月だ。世界が本当にどんどんと混沌へと向かっている。でも日本はまだまだ平和を享受している。人々も危機感も全くなさそうで、”うちの子に限って”じゃないが、”日本に限ってね・・・”なんて雰囲気だ。いつまで続くのだろうこの「平和」と思うけど、そんな大きな流れよりも個々の人生の流れにすでに翻弄されている自分が広い視野を持とうとしても何か中途半端なだけだと思える。

微力だなぁ・・・


またこの曲を・・・




正美




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