DECEMBER 2023 ~ 蜻蛉の滝と神武天皇社・・・
出直し龍神巡りの途中、知人にオススメいただいた「蜻蛉の滝」に立ち寄った。「蜻蛉(とんぼ)」と書いて”せいれい”と読むそうだ。先に訪れてた丹生川上神社上社からもそう離れていない。「あきつの小野公園」の駐車場に車を止めて石鳥居がある。こんな感じの鳥居はちと不安になる。山だし・・・。左から
「弁財天」
「天龍大神」
「不動明王」
と、この鳥居の奥に祀られている神仏が鳥居に示されている。階段を上っていく入口と途中に石仏があったがそこは無難にスルー。ネットで調べてみると行者の御霊が祀られているとか・・・。とにかく失礼があったら良くないし。最初に「弁財天」がお祀りされている社があった。覗き込むと扉が閉じられている様子。弁財天さんの真言は覚えてないので手だけ合わす。次にお不動さんが祀られている社が滝のそばにある。こちらも扉が閉じられていた。ここではちゃんと真言を唱えて手を合わせた。神聖な滝のそばではちゃんとお不動さんが守っておられるんだなと・・・。
蜻蛉(せいれい)とはトンボのことである。二十一代雄略てんのうがこの地に行幸の際、狩人に命じて獣を馳せり、自ら射ようとしたとき、突然大きな虻(アブ)が飛んできて、天皇の臂(ひじ)に喰いついた。ところが、何処からともなく蜻蛉(トンボ)が現われその虻を嚙み殺したので、天皇が大いにほめたたえ、これより、この地を蜻蛉野(あきつの)と呼ぶことになった。
この看板近くに一人用の螺旋階段があって下から雄大な滝が眺められる場所がある。とりあえず降りてみたら、上からの眺めとはくらべものにならないくらいに美しかった。一筋一筋の水の流れが美しい。
由緒書に書かれている。
祭神は神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)で、初代神武天皇の即位した場所であるといわれる。享保五一年(1736年)の大和誌には「橿原宮。柏原村に在り」と記し、本居宣長も明和九年(1772年)の「菅笠日記」に「畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり南西にあることを里人から聞いた」の記している。言い伝えによると、この地が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治のはじめに証拠書類を全て焼却して指定を逃れたという。
普通なら2700年近く前に初代神武天皇が誕生したのは現在の橿原神宮だろうと。どうもそれは違う。歴史は「東征」ではなく「東遷」だという事が真実の歴史ではないかとも界隈では言われている。その自分もそう思っていて、元々はこの橿原ならぬ、柏原の地が神武天皇から始まった葛城王朝の誕生の地ではないかと。ただ由緒書にもあるように、ひょんなことから真実がわからなくなってしまった。
本当にこじんまりし過ぎて、初代神武天皇の所縁の地かと疑うのも仕方がない。民家の隣にあると言えばそうだしね。ただこれも地理的に日本書紀の記述にそった頷ける場所だったりする。「腋上の嗛間の丘(わきがみのほほまのおか)」から国見をして、「秋津洲(あきつしま)」と称した。意味は蜻蛉(トンボ)が交尾しているかのように山々が連なり美しい様をいう。その掖上の地がここ柏原。
それで、この看板を見て思い出した「嗛間神社」。路地の突き当りにある。ここは実は神武天皇が東征という名の、東遷に大和にやって来る前、すでに日向の国では妻がいた。吾平津媛(あひらつひめ)。でも政略結婚として大和を支配していた饒速日命の娘の御歳姫、これが皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)と結婚してので、前妻の怨念を鎮めるためのお社だという。
行ってみたら、ネットで書かれていた通りにしっかり鍵がかけられていて、その奥にこれまたこじんまりとお社が民家に挟まれてある。
”まぁ~なんとも・・・”
でもちゃんとお世話されているようで、榊も青々としていた。こうして自分は調べたことにまつわる土地を訪ねることができるのは嬉しい限りだ。自分はこうして現地まで赴いて物事を吸収する方が好きなタイプだなと思う。お金が散々に散って行けどさ・・・。
興味のない人には、本当にどうでも良い分野だね。
正美
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