市営住宅公募の結果・・・


23年前に初めてこの町に住んで以来出たり戻ったりを繰り返して、何かしら思い出深い時間を毎回過ごしてきた。そしてまたこの町に戻ってきて程なく5年が経つ。やっと腰を据えて生活できるような環境になり、この土地での生活を基準に事を考え、そして進めれるようになったと思う。昨年は色々あって実家のあった尼崎に戻るかもという選択枠が出てきたが、あえてそれを選ばず両親を呼び寄せ、この土地に留まることにした。



一年前に不動産屋を決め今のマンションとの契約を終え、迎えた両親もこの町の住民となったのは丁度今頃。生活も落ち着いて、当初より考えにあった両親の市営住宅の公募に手を付けれるようになったのは昨年の11月。長居の町でという狭い範囲の選択枠を課して応募したが、11月の募集分は当選が叶わなかった。こういう申し込みは毎回面倒な手続きを踏むのかと思っていたら案外サクッとできるもだった。初回は手順を学べて良かったと思う。

「当たるも八卦当たらぬも八卦」

そんな面持ちで応募を続けていこうと楽観視しつつ、年を越した先月2月の公募に再度募集をしてみた。また同じ長居という狭い範囲の選択枠でだ。今回の応募した物件は完全バリアフリーというわけではないが、ここが良いなと考えていた地区だったので迷わずそ応募した。一週間前に今回の抽選番号は「0002」が届き競合がいるということも分かった。どの道、当選結果ははハガキで連絡で来るので放っておいても良かったが、抽選日当日の夜にネットで確認してみた。



”当たっちゃった・・・”

取り敢えず、”当たったよ!”と両親に報告をした。まだ数回応募を重ねないダメかなと思っていたが、ここで当選という流れになった事は、その市営住宅が彼らの未来にベストだと与えられたものだと解釈をする。実際その市営住宅の場所は自分の願い通りだ。

当選通知が届いたので、書類云々を揃え提出していく。これも大した労でもなさそうだ。話に聞くと、当選から実際の引越しまでは何だかんだと半年はかかるとか。大阪の市営住宅は物件によっては浴室の浴槽、給湯器、そして台所の給湯器も各自で業者に頼み取り付けなければいけない。そういった諸々を処理しているとそれくらいかかるということだろうか。加えて、引越しまでの部屋の準備は自分がする。結局のところ、引越しは7月下旬から8月になる。

両親が市営に入れば彼らの長居での生活ももう一段階楽になり、ある程度は自分たちで生活をしてもらえ、わずかだが自分の負担も減るとは思う。とは言っても、こういう流れになればまた違う処理もしていかなければいけない。

一年はあっという間だった・・・。

正美


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