51st Birthday...
新しい1年を迎えました。人生51年目に入ります。毎年この時期にまとまった休みを取ることにしていたのですが、思うところがありシフトが決まるがままに任せ、公休内でそれなりに過ごすことに決めました。結局は夜勤明けを含め5日間の連休がもらえたので、恒例の秩父・三峯神社へ4度目の参詣日することにしたのは良いが、前々日まで決め切らず”今年こそはゆったりと!”と思いつつも、それかなわずの強行軍でした。 昨年の50歳の節目を迎えてから一年( 50th Birthday... )、どういう1年だったか?少し前に”さとうみつろう”という作家兼哲学者(という括りになる?)がこのような動画をアップしていました。 ”僕たちは1つだけやることを決めてこの世界に生まれてきました” ”死ぬという事です” この動画の冒頭部分で彼がこの言葉です。その後の内容もとても興味深いものです。昨年の誕生日を迎えた辺りからから母方の叔父が明らかに死期へ向かって着実に時間が進んでいることを理解しました。その様子や、その最期を見届けることになり、そして母の思いを汲んで自分が色々とが事後処理に動きました。彼の晩年に関わった方、死の寸前にまで関わってくださった方々と接する機会を持つ中で多くの事を考えるきっかけになりました。死ということ、家族ということ、そして人の一生ということ。 自分自身も着実に歳を重ねている。その最終的な目的へ向かっていることを否が応でも毎年この誕生日に自覚し、姉の不遇というべきかその死以後に始まった両親との生活で彼らの日常の様子から遠くない未来にその時期(とき)を迎えることを肌で感じます。ですからちゃんとそのテーマに向き合うべきだという思いが強くなりました。そして彼らに対して後悔しないよう果たすべきことはちゃんとしようと思います。 この動画の中にもある「死を覚悟した生き方」はまだできていないと思います。まだ死を(自他)意識しているだけです。そして現実的にそのことを強く体験したような1年でした。ちょっと暗いテーマかもしれないが、総じてこの1年はそんな1年だったかなと。個人的であれ、社会的にそういったこと以外は地味に質素にという感じですが、感情の、特に”怒”の感情はやや多めだったような・・・。 ”怒”と言えば、兵庫県知事選投票が明後日17日に控え、益々情報戦が特にネット世界の中で繰り広げられています。今回