「お疲れ様」という言葉・・・


昨日からU2の「Discoteque」が頭の中をスピンしていた。今朝も冬の冷気が漂う中を自転車のペダルを踏み込みながらこの曲が頭でスピンをする。そして足を踏み込む勢いに力を与えた。特に好きなバントではなかった。ほとんど聴いたこともない。ただこの曲だけはなぜか好きだった。

最近は近所のマクドナルドではなく、二駅先の店舗をわざわざ自転車で出かけすごしている。10分程かかる。急に過ごす場所を変えだしたのは、きっとまた場所の気の変化を感じ取ったからだろうか・・・。確かに前の店舗は急にその空間の居心地の悪さを醸し出し始め、今の場所は妙にしっくりいく感がある。動物的なアンテナが発動したかもしれない。

話は変わるが、Twitterである保守系のジャーナリストが先日石原慎太郎氏が亡くなったことに関連して、自身の母親の死についてのツイートをしていた。母親の死を迎えて「お疲れ様」という思いを抱いたという事だ。そしてその死から強く学んだ事があったという。自分の両親はまだ健在だけれども、そのような思いを両親の最期に思うだろうかと、まだいつの事かもわからない先の事を考えた。そして昨年亡くなった姉に「お疲れ様」という言葉を投げかけていたなとふと思い出した。

その「お疲れ様」という言葉に姉の死に対しての自分の感情や、事の状況への何とも言えない冷静さのような感覚を覚えた。実際、彼女の送りやその事後に関わる件も至って淡々としたものだった。両親はどうだっただろう?涙を流さない気丈な両親の様子を眺め思ったものだ。自分たちと、他の親戚縁者との反応の違いは一体何なんだろう?

「お疲れ様」

残った3人の姉に対しての共通の思いはこれだろう。父親、母親、弟としての姉への思いだ。他の親戚縁者もそういう思いはあるかもしれないが、私たちのそれは姉の人生が枝分かれする前、その枝に接ぎ木される前の根幹の人生の期間を共に過ごした者からの彼女への思い。だから思う、姉の死までの過程を一番強く憂いていたのは私たちだったんじゃないかと。自分は幼少~思春期を共有した弟の役割を持った視点、そして一人娘を育て上げた両親の姿を見てきた、彼らの子一人としての役割を持った視点からそれを強く思う。

自分は一体どういう最期の時を迎えるのだろう?

今から考えても仕方のないことだけども、奇跡のような命、人としての稀有な人生をもっと大切に考える良いきっかけだと思えた。ある声優はずっと自分の最期をどう迎えるか、どう導くかと考えているという。自分より若いのに・・・(笑)それだけ自分の人生、その源の命に一所懸命向き合ってるということだ。

♪You know you're chewing bubble gum♪
♪You know what that is, but you still want some♪
♪But you just can't get enough♪
♪Of that lovely-dovey stuff...♪

もっと自分の人生に”Lovely-dovey"(メロメロ)になれるよう、強く、前をしっかり見て人生という「Discoteque」を生きなきゃね・・・。





正美

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