安倍ちゃんの「国葬儀」とか・・・
今朝の夜明けの空は珍しい配色だった。日が昇るとともに放射線状に夜が明けるのではなく、東の空の色は左右に割れていた。”何かが違う・・・!?”としばらく眺めながら、いまいちそれが掴み切れず写真だけを撮り、あとでゆっくり眺め色補正を加えると現象が浮かび上がってきた。
9月27日
安倍晋三総理の「国葬儀」が東京で行われた。気持ちは行ってみたい気持ちがあった。安倍総理への献花と、実際のその場の雰囲気、携わる人々の様子、集まる人々。いつも自分はその現場を自分の目で見て、聞いて、触れて、感じて、自分の感覚をフルに体験をしたいタイプだ。ただ予想できた一般市民への献花の列は並べそうにもないのと、日帰りでしか時間の取れない状況、あとは交通費が・・・で諦めることにし「デジタル献花」をさせてもらった。
”安倍ちゃん、ごめんよ~!”
安倍総理が凶弾に倒れた7月、すぐに大和西大寺駅の現場に献花に向かった。ただそうしたいなという気持ちでだ。あのテロ暗殺事件への自分が抱く多くの疑問は払拭されていない。このままうやむやにされて歴史の教科書の一ページに簡単にまとめられてしまうかもしれない。それでも亡くなられたということを今の「事実」として行動しようと思った。
本当に奈良の西大寺駅に設けられていた献花には老若男女、様々なジャンルとも感じれる人たちが大きな花、小さな花、大きな束、一厘の花を手にして列に並んでいた。その列に並びながら献花に訪れた人たちの様子を伺い感じてみる。みんな安倍総理の死に対する真摯な弔意の思いで真夏の強い陽射しが照る列に並んでいたと思う。
この事件の前後に表に出だしたある宗教団体と国会議員の関係のニュース。安倍総理もその団体との関係性が取り上げられていた。”ズブズブだ~”と安倍総理がその団体と密の関係性を疑う風評。自分は安倍総理は深い関係性を持っていないと考えている。というか、必要ないだろう。今回の「国葬儀」に献花に訪れた一般市民。その人達への街頭インタビュー。それらの人達はその団体から動員されたとか、本当に馬鹿げた妄想ではないだろうか?
自分は俯瞰的に眺めながら、自分の心の感ずるままに行動しようと思う。今回の安倍総理へ対する考えや行動もその感覚あってのこと。正しいかもしれないし、間違っているかもしれないが、自分が選んだ選択なので周りがとやかく言おうが正直どうでも良い。安倍総理に対して、「国葬儀」に対して批判、抗議する人たちも彼らの選択だから、”あっ、そうですか!”という感じだ。ただ維新系のある人が”黙とうの時ぐらい静かにしろ!”と強い語調でツィートをしていた。
本当にそうだよね。肯定的な考え、否定的な考えがあるにしろ、「常識」という言葉は適当ではないと思うけど、とっさにそうあるべき時、場では心情、信条は一旦さっと脇における自分でありたいと思う。
日本人として大切な「心」のようなものが、その言わずもがな的な「繋がり」というものが分断され始めている。そんな危惧を抱かずにはいられない。
ガースー(菅総理)の友人代表の追悼の辞。素敵な言葉が並べられていたな。ガーズーナイスだよ!
無事に終わって良かったと思います。
正美
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