FEBRUARY 2024 ~ 潮にまつわる神社・・・


お隣り町の堺。大和川にかかる吾彦大橋を渡ればすぐだ。イオンモール北花田に行くときくらいしか堺市に入らないが、久しぶりに阪堺電車沿線沿いの橋から堺市に入ってみた。昼から仕事だったが目的地も自転車で30分弱なので”行くか!”とちょっと気持ちを奮い立たせてみれば重い腰も上がる。

夏の住吉祭の時に大和川のこの辺りで「神輿渡御」の神事がある。自分は住吉大社から大和川までは神輿を追いかける。でもこの先の「宿院頓宮」まで行列を追わず引き返す。夏場の猛暑の中、昼から夕刻まで追いかけて堺から戻ってくるのが疲れるからだった。だから未だに「宿院頓宮」に行ったことがなかったので行くことにした。


先日住吉大社で古事記に関するウォーキングイベントがあった。このことはまた今度書こうと思うが、実は「宿院頓宮」は記紀の神話に出てくる「潮涸瓊(しおみつたま)・潮干珠(しおひるたま)」の潮干珠に所縁のある場所だ。読んで字のごとくなんだけど潮を干す珠ということだけど、この地にその珠が埋められたという。実際のところこの潮涸瓊・潮干珠に所縁のある土地はココだけではない。潮の満ち引きに関係する方々の逸話にうまく組み込まれている気がする。

大阪も昔は湿地帯で河内湾があった。それが年月とともにドンドンと潮、つまり海が引いて現在の平野部になった。その自然の現象を上手くガイドさんがこの潮涸瓊・潮干珠の逸話を織り交ぜて説明していたので、神話の世界を今の感覚のイメージとしてとても捉えやすかった。神話って様々な事象なりを人、モノに置き換えて表現をしている。とくに上つ巻はそうだ。自分にとっての記紀の理解の課題はどこまでの神々が現象を人、モノに置き換えられた神々か?そうでないかを区別することも一つになっている。


「宿院頓宮」までの道中に商店街を抜けた。その商店街の半ば左手に大きな鳥居がある。「開口神社(あぐちじんじゃ)」の鳥居だ。ちょっと装飾がほどこされていたが・・・。「宿院頓宮」を参ったあとにこちらも立ち寄った。予定には入れていなかったけれども立ち寄ったほうがいい気がした。この神社のサイトのご祭神・由緒のページにはこのように神社の説明がされている。https://aguchi.jp/about/index.html

「塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)」がご祭神として祀られている。航海や、旅・人生の導きのご利益をもたらす神様だそうだ。おそらく潮の流れ、満ち引きが船が主たる移動手段であった古に大きく影響していたことが、この神がそのよう「塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)」と表現され、山幸彦の逸話でも知恵深い老人の姿に変え浜辺に現われ竜宮までの道しるべとなったのだろう。そう考えるとまたイメージで理解も深まる。


本殿で参拝を済ませて、摂社・末社もぐるりと一通り見て回った。そんな境内の一角に与謝野晶子の歌碑があった。どう見ても明石家さんまに見えてくる与謝野晶子の顔が印象的だった。「宿院頓宮」~「開口神社」までの記紀神話の面白い繋がりだったから重い腰を上げて行った甲斐はあったかな。最後にお御籤を引こうと社務所に向かった。ちょっと高かったけど¥500の龍神お御籤を引いた。黒龍、赤龍、白龍のいずれかでこの日の気分は「赤龍」だった。公私いろいろと苛立ちが積もるこの頃、どんなご神託を頂けたのだろうか?

「大吉」

何か久しぶりの「大吉」な気がする。「中吉」「小吉」「末吉」ばかりだった最近。書かれ散ることも大体同じ。”諸問題に真摯に向き合いなさい”、”信心しなない”という具合。

吹く風に
高峰(たかね)の雲もはれ行きて
涼しく照らす十五夜(もちのよ)の月

”冬の枯れ木に春が来て花さき黒雲晴れて月てり輝く如く”

今まさに春を迎えようとする時期にこういう歌が良い。冬に入ったあたりからイライラが積もり気味だった。この神社を訪ねたのもタイミングだったのだろうか?「塩土老翁神」のお力で潮の流れを変えてくれるのだろうか?当の本人はただその潮流れを見つけて、人生を、身を委ねるだけなんだろうけども・・・。





良いお参りだった!


正美


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