FEBRUARY 2024 ~ 知らなかったルーツ・・・
1月末ごろに長居陸上競技場をスタートに行われる「大阪国際女子マラソン」が終われば1年の始まりの月も”すぅ~”っと駆け抜けて2月にいつの間にか突入する、そんなイメージを持っている。昨年末に亡くなった叔父の人生の後始末?後片付け?もほぼ終わった。今日は昼前から叔父の家に行き、先日まとめていたゴミを全て家の外へ運んだ。自治体によって粗大ゴミの収集方法は違うが、尼崎市は臨時ゴミ(¥5400)を依頼すれば粗方の量を引き取ってくれる。
収集車が到着するまでは近所のファミレスで昼食を済まし少し時間を潰した。それでも時間がまだあったのでそばにある自分が通った小学校の門扉前まで行ってみることにした。小学校に通っていたのは40年くらい前の事。ほぼ変わらぬ校舎、校庭の様子を眺めて甦る記憶はあるのかなとしばらく過ごしても、案外すっと浮かんでこないだなって・・・。歳を取り過ぎて記憶がどんどん上書きされているだけなのかもしれない。
収集車がやってきて、あっという間にゴミをどんどん詰め込んでいく。佐賀のゴミの1/10程度。何とか臨時ゴミ券1枚で片付いたのでほっと胸をなでおろす。叔父の最後の生きていた証もこうしてあっけなく収集車の中へ消えていったわけだが、最後の最後まで妹である母に気苦労をかけ続けた人生だったなと。金銭の使い方に大いに疑問の残る叔父だから後々何が出てくるかわからなかったが、リスクを承知の上で片付けようと母と決めた。むしろ”方を着ける”が正解のような気がする。
さて、話は飛ぶがそうこうしているうちに確定申告がやってく来る。自分名義になっていた母方祖母の借地上の家を昨年運よく売却できたのでその分(微々たる金額だが)を申告をしなければならない。これまであまりしっかりと目を通していなかった過去の相続書類の中で祖父母の『改製原戸籍』があった。この戸籍は実に面白い。3年前に父方実家の相続と空家解体問題に取り掛かるときに母との結婚に伴う父の除籍前の『改製原戸籍』をわざわざ佐賀の白石町役場へ取りに行った。そこには祖父を戸主とする子息関係、さらには祖父母の両親の名前も明記されている。思いがけず初めて曾祖父母の名前を知ることができた。それじゃ、母方の場合はどうだと今回その残っていた戸籍を覗いた。
原戸籍は2代遡って家族の関係性を知ることができる。今回母方のそれは祖父母から2代遡り、自分からすれば曾曾祖父母の名前まで知れた。そして戸籍に記載されている内容は実に興味深かった。父方は男系女系ともども佐賀を出自とする家系だったが、母方女系は昔から付き合いがあり山陰の鳥取の出自であることは知っていた。隣の島根も関係性があるのかなと安易に想像もしていた。そして戸籍を見ればやっぱり曾祖父は島根出身だった。しかも「入夫婚姻」ということで妻の名前を名乗る婚姻だったようだ。”何や?入夫って?”と戸籍に書かれている内容を見て調べると”女戸主”との婚姻のことで、家系が途絶えてしまわないための当時仕組みだったそうだ。婿養子とはまた違うという。面白い!
次は男系だが、子供の頃からなぜか全く知らなかったし、知ろうともしていなかった。自分が生まれた時には祖父は既に亡くなっていたのもある。近所に祖父の弟が住んでいたが、ほとんど交流が無いような感じだったと記憶している。とにかく母方は女系との繋がりが強かった。そして戸籍を見てみるとなんと男系は富山が出自だった。まさかの越の国ときた。しかも養子縁組で大阪にやって来たようである。今でいう富山市にある当時の中新川郡”東水橋町”という明記がある。この町は出版業界の大手「角川」一族の出自の地でもある。角川創業者・角川源義の父親は養子縁組だったようだ。「角川」って姓は富山に多いという。なるほどね。部屋に飾られている「幻魔大戦」のポスターを見ながら”これも角川作品だったな・・・”と物思いに耽った。
暖かくなったら富山のルーツの土地を訪ねてみよう。富山は古代史のしかも偽書扱いされている古文書の内容に出てくる重要な場所だったと記憶している。雪解けを待って興味のある知人を誘ってみようか・・・。
正美
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