JANUAR 2024 ~ 『方を付けていた』ら出てきたアイテム・・・
昨年12月に入ったあたりから急に龍神にまつわる神社を巡り、何かしらの龍神と縁がある一年なんだろうと思っていた。そして年明けすぐに両親の新しいケアマネージャーさんとの顔合わせと契約があった。両親宅に来ていただいたときには気が付かなかったが、その方の名前に「竜」の文字が含まれていたことに今更ながら気が付く。その後両親が再開するデイサービスの再契約の際にも何度か家を訪ねてくださって、以前の契約先のケアマネさんには申し訳ないが直感的に”この方で大丈夫”という感覚を持てた。しかし今回の方に巡り合わせが回ってくるまでは前任の方との縁繋ぎがあればこそだから担当を変更したことへの否定的な考えは持つ必要もない。ただ元々ケアマネージャー契約先選択時の2択から自分の直感で感じていた今の契約先を選ばなかったのはやっぱり反省点だとは感じる。
いつもならこんな些細な共時性はすぐに目が付き気が付くものだが、しばらく気づかなかったのは年末からのドタバタで頭が一杯だったからだろう。昨年末に叔父が亡くなった。82歳の生涯だった。昨年の今頃はまだ癌を患っていたとはいえ何とか訪問サービスを受け生活をしてた。ただ80近くなる心配性の母が事あるごとに大阪から叔父の元(尼崎)を訪ねに行くので叔父を長居に迎えようと説得したが叔父は頑なに拒んだ。今思えば強引に事を進めても良かったかもと思ったが最終的に自分が折れた。昨年8月ごろに急に体調がしくなり体が動かなくなったという。2年前に2度のワクチン接種以降に寛解していた癌が再発し、昨年12月に入ったころ福祉局のケースワーカーから終末ケアの訪問看護に移る連絡をうけ両親共々会いに行った日の4日後に叔父は亡くなった。
”ありがとう”
と、家を離れる時に叔父が自分に言葉を掛けた。叔父の声の響きが頭に残る。
叔父の正負の財産を(リスクを承知の上で)放棄せずコチラで事後処理を進めようと母に薦め、そしてお骨も大阪で預かることにした。死人に口なし何かが出てきても淡々と処理することを決め、『片付ける』という感覚ではなく『方を付ける』というのか、父方母方のこれまでの黒であり、グレーの状態をできる限り白に戻したい、そんな(限度があるが)清算の役割の思いがある。ことごとく神社のお御籤(ご神託)で”家庭の問題に真摯にあたれ”と常々言われていたので心積もりはできていた。でもね・・・、
”わぁ~、その封筒見たくなかったなぁ・・・”(笑)
死後の行政の手続き、叔父の住んでいたアパートの引き払い、生活用品の処分、光熱費の解約や最終支払い、また特別な支払い(笑)などやることが多い。ただ父の佐賀の空き家処分の時の1割程度の労力だとさほど苦にもならない。むしろ”あれして、これして”と事の処理の順序立てがスムーズだったかと。佐賀の時の経験が多少なり役に立ったという事だ。
そう言えば、叔父の部屋を整理しているとエジプト航空のマグカップがあった。”いつの間に?”と首を傾げたが、おそらく母を通じて譲ってあげたのだろう。あまり使っていなかったようだ。添乗員時代に関西空港の『KIXショップ』ができた頃に、エジプト航空も就航していた時に買ったコラボレーショングッツだったと思う。今じゃ結構レアもの。エジプト航空と言えば古いエアバス340の機材を思い出す。パーソナルテレビも無ければ、飛行時間は13時間くらいと苦行のようなフライトだった。そして、この便に大概乗っているのはツアー客ばかり。エジプトにはもう一度行ってみたいなと思う。昔の自分の姿、その時の記憶を思い出させてくれるアイテムなので持ち帰ることに決めた。
来月の四十九日が明けるタイミングで一心寺で骨仏(阿弥陀如来)に造立していただくために納骨を予定している。自宅からもさほど時間と労力を掛けず訪ねることができる場所だ。いろいろあった兄であろうが兄思いの母も写経なり、直接参って供養もできるだろう。一心寺の写経堂には長居に戻ってきてからずっと通い続けていてとても縁あるお寺と言える。自分の写経巻数も総数108巻をもう超えていて、来月はその表彰式に両親共々行くことになっている。”よく頑張ったでしょう!”的なセレモニーだ。これからも続けるけどね・・・。
今日は気分転換に映画を観に行こう!
正美
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