JUN 2023 ~ こんなもん、こんなもん・・・(北海道旅行 ④)

帰阪。

帰りはある意味大変のようで、それほどでも無いような。まぁ確かに大変なんだけど、それは母だけで。起きてしまった(やらかしてしまった)ことは仕方がないので、自分はそれを淡々と処理しつつ大阪に戻るだけだった。”気合で戻るしかないなぁ”と、(母に)踏ん張って戻ってもらったんだが、今回は最終的には高齢の両親との旅行での手配のポイントの今後の反省点、次回の改善点に気づく旅でもあった。

”やらかし”は前夜の野球観戦から戻り、3人程なく部屋の明かりを消してしばらく経った夜中に”バタッ”と大きな音が聞こえて目が覚めた。”何だ何だ”と隣の母のベットを見ると彼女がいないので浴室かと目ボケ眼で立ち上がると足元に母がうつ伏せにぶっ倒れている。

”えっ、マジか!?”

と、サスペンス劇場のあるある死体っぽい感じになっている母。声を掛け聞くと、父のベットに躓いて前かがみに”ガッチャマ~ン”と倒れ込んでしまって起き上がれなくなっていた。背骨の圧迫骨折を何とか落ち着いた状態を戻したばかりだったので”また同じ患部をやらかしたか~”と項垂れながら手を貸し何とか立ち上がらせた。背骨の方は大丈夫だったようだが、右ひざを強打したようだった。翌朝、歩くのは厳しほどの痛みがあるということだった。

さっさとすべきことを頭で整理していく。復路の飛行機移動の座席指定のし直し、関西空港到着後の直通タクシーの手配、新千歳空港の動線と車いすを借りれる場所の確認、ホテルの車いすの有無、新千歳空港着後にピーチカウンターで車いすの手配と優先搭乗と関西空港着後のケアの可否の確認。元添乗員さんはちゃんと仕事をしました。

”お客様~、少々こちらでおまちください~!”(笑)。

ピーチの関西空港での発着は第二ターミナルで、飛行機から階段タラップで降りなければならない。あきらめていたがリフトで降機させてくれるという。ただケータリング用で。ただ”そうなのか~!”と感謝した。父を母と地上職員さんに同伴させ、自分は一先ず通常ルートで出口に向かい、到着ロビーで待つことしばらく二人が地上職員さんに連れられ出てきた。そこで待ってくれているMKタクシーのドライバーに連絡をとり車を回してもらうという。”手際良すぎだろ、元添乗員さん!”と自画自賛。やっぱり、9年やったことは無駄じゃなかったね(笑)。タクシーのドライバーさんもとても親切なかたで、家の前までつけて敷地の車止めも元に戻して帰って行った。

若干、新千歳空港からのMM106便は遅延着となった。折り返し便が少し遅れていたことと、うちの優先搭乗に時間を要したんのもその遅延の原因だったかもしれないね。それでも座席指定しなおしたのは正解だった。母の為に最前列取れば良かったんだが他のお客さんいたんので、3名分の横並びが取れる最前列だった3列目でも十分だった。その判断は迷ってる暇はない。添乗員時代も迷ってる暇はなく、パッパッと状況判断行動する。これ大事。

出発前にトイレが近いという母が呑気に”ソフトクリームでも食べようかしら”とほざいたので、”あほか!”と𠮟りつけた。何か感覚ずれしてるところを所々でご発揮する婆さん。まぁ、母の大変な状況でも父と自分と言えば・・・、

父:北海道に爪痕残せたたな~アハハ

子:いや、それ爪痕つけられてやんだえ~アハハ

この親にして、この子あり!?この子にして、こんな親あり!?感覚ズレしてるのでしょうか?典型的な関西不幸を笑いネタにする(笑)

仕事明けにすぐに車いすを担当ケアマネジャーさんに借りて、行きつけの整形外科に行く気満々だった。ちゃんと病院の人達への「白い恋人」を母は手土産に買っているが、余計な手土産はも携えてる。先生がどう言うか・・・。結局は痛みが少しマシになったようで、もう数日してから病院行くことになった。

すると、父がかかりつけ医から”これ・・・”と「紹介状」を持ち帰ってきた。

”脱腸っぽいわ・・・!”

と、とりあえず父の病院引率。そして脱腸はまだ軽度のものだったので早めに処置をする日程を担当医と立てた。

”大変だったねぇ”と声を掛けてくれる同僚。でも自分の中では”こんなもん、こんなもん”と思っている。姉が逝った後は、色んな事を自分の中で折り合いつけたので、こういったこともその”色んな事”の一つに過ぎない。

年末の恒例の伊勢旅行は問題なく行けるように、彼らにもしっかり治療とリハビリをしてもらわないといけないね。

また、家族旅行が行けますように!

自分の個人旅行もね!


正美


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