JUN 2023 ~ Reunion in CLUB MED TOMAMU・・・(北海道旅行 ②)
クラブメッド・トマム
ほぼほぼ事前に伝えた時間に到着をした。懐かしい「北の魔女」たちが出迎えの為に玄関先で待っててくれていた。クラブメッドでは必ずフランス語風に言う”Arrive(アリヴェ/到着)”と”Depart(ディパ/出発)"の時は玄関先まで迎え/見送りに来てくれる。日本で言えば旅館の仲居さんたちがするようなもの。ふと伊勢の渡鹿野島の「福寿荘」のおばばたちは元気だろうかと思い出した。あそこのお見送りも印象的だ。横断幕に横一列に並び、ハンカチ片手に手を振るおばばたち。添乗員時代に一度行っただけだがインパクトが色んな意味で強かった。また会いたい。
自分は2015年の2月から2017年の3末までクラブメッドスタッフの一員だった。北海道は最初の2か月で、その後天の声かはわからないが”マサくん、5月からカビラ(石垣島)に行くのよ~”的な啓示という名の”いきなり”辞令を受けその後2年間は石垣島。北海道の土地との縁は薄いと言えば薄いのだけども、クラブメッドとの縁をはそもそもそうなる前、そうなった後でもその土地の人達との濃い縁を持っていればこそだった。添乗員時代からの様々な縁の綴れ織りを重ねて、北海道、石垣島(沖縄)、さらには今にも全部繋がっている。色んな意味で・・・。
トマムの施設は自分がクラブメッドを去った年の冬シーズンにオープンした施設だっただろうか⁉だから一度も見ずに今に至った。自分がいた石垣島のリゾートは1999年オープンの施設なので、数年前にオープンした施設と比較してもちろん新しさ際立つ。マムシが現れることもなく、海ヘビ、カサゴ、鬼クラゲを見ることなく、のどかに鹿やウサギを見かけるのどかな山の風景(笑)。でも、石垣島の施設は好きだった。美しいコバルトのサンゴ礁、満天の星空と天の川。自分には本当にその土地と出会った人たちとの濃い2年間はさらにそれ以上の年数だったかのような価値観がある。
事前に両親がビックリしないようにある程度、”こうで、ああなるんやで”と説明していたんだけど初体験の二人には戸惑いがあったようだ。見渡せば外国人ばかり、また自分の息子が添乗員時代に海外に行きまくっていたことを知っていたとは言え、ある馴染みのスタッフが”マサ~~”と大声(いつもなんだけど)近づいては英語で”あーだこーだ”と始まり、息子が会話する様子に口がポカンとなるのも仕方がない。アラエイトの爺さん婆さんには刺激が強かったのかもね。それでも夜のショーも楽しんでいたようだし良かった。
一泊の滞在では話足りない事ばかり。それでも話をしておきたい面子とは時間の許す限り話すことができて良かった。変わらぬ姿で元気で過ごしているようで安心もした。先日パパになった石垣島時代の信頼していたスタッフが自分の生まれたての息子の写真にパパ顔見せるの姿に心から”おめでとう!”と思える。あまり他人の幸せは喜ばないんだけどね(笑)。彼は別だわ。出発の時はその彼が仕事の時間を割いてわざわざ見送ってくれた。
出発前の朝に施設看板の前で自撮り。浦島太郎が竜宮城から元の世界に戻って開けてはいけない「玉手箱」を開けたような自分かしら(笑)。クラブメッドは竜宮城のような施設なのかなとこの一枚を見ながらふと物思いに耽る。魔女さんの一人に”染めたら”なんて言われたけど、”色んな事諦めたのよ”と返したら、”ダメよ!死ぬまで現役よ!”なんて諫められる(笑)。渦中にいる時に気が付かなかったこと、離れてみてしばらく経ちその雰囲気に触れて気づくことってあるね。
エスコンフィールド観戦にまた行く機会があればついでにまた訪ねられるかな・・・?
変わらぬ姿、変わらぬハートで迎えてくださった皆さんありがとうございました。
正美
コメント
コメントを投稿