恵方巻の思い出・・・

ラップに包まれた「恵方巻」

昨晩、夕ご飯に出てきたのは「恵方巻」だった。銭湯帰りに階下の店によりちょっと一杯ひっかけて帰ると、”ド~ン!”と一本巻き寿司が皿に盛られテーブルに置かれていた。

”やはりな・・・”

と、思いつつ久しぶりに節分のタイミングに両親と恵方巻を食べる。

太巻きはかなりの頻度で食卓に並ぶ。今はもっぱら母が作っているが、元々は寿司職人だった父の役割だった。いつの間にか母がそれをするようになったが、引っ越しをして両親と生活を再開後の初めての節分ということで頬張りついた。80歳になった父にも遠慮なく”食え!”と言わんばかりの丸かぶり仕様。

”拷問かよ!”

と思えなくもないが、入れ歯の無い丈夫な歯をしているのでしっかり食べていた。

自分が子供だった頃、節分の日はイベントだった。寿司屋を営んでいた両親とその息子は、一般的な節分のイベントより、「恵方巻」のイベントの方がとても思い出が残る。鬼の面をつけて豆まきしたという記憶はほとんどない。。

「恵方巻」のイベントは関西圏の行事のようなところがある。”えべっさん”(十日えびす)のようなものだろうか?それが今は全国区になり、廃棄問題などが出てきてこの行事に対しての印象は正直悪くなっている。ただ自分にはそれが”???”でしかない。子供の頃の記憶をたどれば、今のような化粧巻きのような色々な具材が入っているわけでもなく、かんぴょう、高野豆腐、厚焼き玉子、三つ葉のいたってシンプルな具材だけだった。寿司屋さんだけの販売だったから、せいぜい作り余りも問題になどならない程度。自己消費をすれば良いし、もともと日々売られる既存の商品だったから。

それが廃棄問題などの取り上げられるようになったのは、コンビニや大手スーパーが見境なく参入したここ10~15年くらいだろうか?本当に酷い話であきれていた。自分たち家族は、店をたたんだ以降もこの日は自家製の太巻きを作り続けてある意味蚊帳の外のニュースだったけど、それでも少なからず心を痛めていた。自分には「恵方巻」のイベントが良い思い出だったから。

今の自分の年齢よりも若い、当時の父が恵方巻をたくさん巻いて、段積みにしていく。自分も包装の方法を教えてもらい手伝っていた。そういえば死んだ姉が手伝っていた姿、記憶がないな。昔から姉はそんなところあったっけ。今だから言えるが、あまり父と母の姿、背中を進んで見ようとはしていなかった気がする。知らんけど・・・。

今日の昼ご飯も残りの「恵方巻」だな。そう言えば、昨晩無言でちゃんと吉方位向いて食べてなかったな…


正美


コメント

人気の投稿